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社員からの紹介コメント

 
とぎ話その後――「いつも自分がこの世界に属していないような気がしていた」


 
 たとえば、TSUTAYAのアダルトコーナーに入ったときに無意識のうちにロリ系女子高生モノ(しかも黒髪セーラー服に限る)を手に取ってしまうみたいな感じで、たぶん人にはお気に入りのピンポイントジャンルみたいなものがそれぞれあって、それで言うと、私は、「飛び出しモノ」にとても弱い。
 といっても、歩道に飛び出して車に引かれそうになるプロポーズとかではなくて、ラストシーンが、主人公が自分の生まれ育った小さなコミュニティを「飛び出す」ことで終る映画のことだ。
 
 たとえばそれは、「国道20号線」では、いつもシンナーでラリっては「ここではないどこか」への憧憬を強くしていながらも、「国道」を横切る移動をするだけだった主人公が、最後に、きっとどこかへと続く国道を真っすぐバイクで飛ばすシーンのカタルシスだったり、「ゴーストワールド」然り、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」、然り、「SO WHAT」然り、何となく、狭い狭い、つまらなくてくだらない奴等ばかりの地元コミュニティの中で、「ここは自分の居場所ではない」と感じていた主人公らは、最後に、バスに乗り、あるいは、電車に乗り、都会―ここではないどこか、を目指して飛び出していく。
 
 
 「ヤング≒アダルト」のラストは、いつ見ても泣いてしまって、「都会でイケてる自分像」が、地元では全然受け入れられていないことに、それどころか、都会でイケてるはずだった自分は、地元では、「痛くて気の毒でかわいそうな人」と思われていたことを知ってしまった主人公は、「田舎」の典型的幸福に見切りをつけて、壊れかけた愛車で都市へと戻る。
 私がいつも泣くのは、「人生はこれからだ」というセリフ、
 
 そうだ、自分の人生は、こんなところじゃ本番は始まらないってわけ。
 
 20代の人には覚えがあるかもしれないけれど、小学生の頃、いや、中学生になっても、私は、某“ホグワーツ”からの手紙を割と真剣に待っていた。いつか、自分の中に秘められた魔力みたいなのが発動するのではないかと期待していた。
 という話をすると、聞いた人は、そんなバカな、って、その夢見がちっぷりとバカバカしさを笑うのだけど、昔、mixiにだって、「ホグワーツからの手紙が来ない。」というコミュがあったのだよ。
 
 某ハリー・ポッターがホグワーツに入学したのは確か11歳だったから、11歳の私は、今度は自分の番だとワクワクしていたし、もちろん11歳を過ぎても手紙など来るわけなかったが、「イギリスと日本の学校制度は違うしな」と納得して、中学1年生まで待っていた。中学1年生の春には来なかったから、「いや、イギリスの学校って新学期が9月だし」と思うことにした(学校制度違うんじゃなかったんかい)けれど、結局、魔力が発動することも、魔法界から招待状が来ることもなく、それから10数年の間を、見栄の張り合いの受験だとか受験は団体戦とのたまう教師の戯言だとか落ちまくりの就職活動だとか間に合った試しのないレポートだとか宿題だとか愛想笑いで顔がひきつる飲み会だとか毎日のごみ捨てだとか月末の残高だとか、悩ましくてつまらなくてせせこましい現実の中で過ごしている。
 
 ここは自分の居場所ではないという気持ちは、裏返せば、どこかに自分の「本当の」居場所があるのではないか、という無根拠な希望のことである。
 わたしたちは、魔力なんて発動しない。だからそんな無根拠な希望への縋りが強い人は、住む場所を変えたり仕事を変えたりする。でもぜんぜん、思った通りの世界は来ないから、いつもいつも、そして永久に、「自分の本当の居場所」の到来を待ち続けているのだ。
 
 
 アマンダ・ホッキングの『スウィッチ』は、あらすじや設定だけざっと見てしまえば、おそらく、この世にあまねく住む少年少女――もしかしたら、そんな、大人も実は密かに心に抱えている、「今ここではない、どこかの世界」という欲望と妄想を具現化したような物語、という印象を持ってしまう、かもしれない。
 
 6歳の誕生日に母親に刺し殺されそうになって以来、親の愛を知らずに生きてきたウェンディは、ハイスクールでも周りと馴染めず、いつも問題を起こしては放校、引っ越しを繰り返し、「ここは自分の居場所ではない」という思いを常に抱えながら生きてきた17歳の少女である。
 そんな孤独な少年少女の前に現れ、今こことは別の世界から迎えに来てくれるのは、むろん、美少女か美少年と相場が決まっていて?(いやハリー・〇ッターの場合は違ったかな……)、どういうわけか、気付けばいつもじっとウェンディのことを見つめているフィンという転校生が告げるには、実は、ウェンディは、人間界とは別の種族「トリル」のプリンセスであり、トリルの世界のルールによって、赤ん坊の頃に、人間の赤ん坊とすり替えられて育ったのだという。
 謎の美少年、フィンは、人間とすり替えた「トリル」が成長すると、元の世界に戻す役目を担う「トラッカー」を職務としていて、実は、トリル界のプリンセスであるウェンディのことも、引き戻しにやってきたのである。
 
 しかし、とは言っても、ウェンディは、「はいそうですか」とすんなりついていくわけではない。親には恵まれなかったウェンディだけれど、家庭には、いつも彼女の事を気にかけてくれる過保護な兄と、献身的な伯母がいるし、彼ら家族は自分に対してとてもよくしてくれているのだから、その思いに何とかこたえたい、この世界で“いい子”になる努力をしたいという気持ちも捨て切れ無いのだ。
 
 だからウェンディは、揺れる。
 
 過保護な兄(もちろんイケメン)と、別の世界から迎えに来てくれる不思議で掴みどころのない青年(もちろんイケメン②)、実は異世界の姫、トリル、ロマンス、バトル、超能力、そして許されざる身分違いの恋……って、これでもかってほどの、胸焼けしそうなTHE・パラノーマルロマンス!!
 って、ふだんファンタヅー(あえてファンタヅーと言おう)なんて1冊も読まぬ私は思った。
 
 が、THE・パラノーマルロマンス、なのはわけがあって、フルタイムで働きながらも執筆を続けていたアマンダ・ホッキングさんは出版社に何度も断られ続けたり、紙で一度自己出版をするもほとんど売れなかったり、を経て、電子書籍に辿りついたのだけれど、その際に、「売れる」ための熱心な研究および緻密な計画を立てたのだ。
 つまり、世の中で、いったいどんなジャンルの本が売れているのか……?という研究で行きついた先が、アメリカで人気のあるパラノーマルロマンスだった、というわけで、ほかにも、価格は若者に手に取りやすいように安く、表紙も目に付くように、知名度上昇のために書評ブロガーにも掲載を依頼等々の努力の先に、アメリカでの成功はあった。
 
 だから、食わず嫌いをせず、よくよくじっくりと本文を読むと、アメリカ人気ジャンルのTHE・パラノーマルロマンスのようでいて、でも、一方で、そんなアマンダ・ホッキングさんの一筋縄ではいかない才気が物語や設定にところどころ滲み出ている。
 謎の美少年フィンが、ウェンディを見つめ付け回すのは、あくまでそれが彼の、「仕事」だからなのであるし、この居心地の悪い世で唯一ウェンディの本質―正体、を見抜いていたのは、実は、6歳の誕生日に彼女を殺そうとした(人間界の)「母親」だったわけだ、という残酷な展開はハッとさせられる。
 
 また、これは本文で確認して欲しいのだけれど、なぜ、「トリル」は、自分たちの赤ん坊を人間界の赤ん坊とすり替えて行くのか、彼らがすり替える家庭の「基準」は何か、というあたりの説明は結構、身も蓋もない。(そう、間違ってすり替わったわけではなく、「すり替えて」いるのだ) っていうか、いや、ひどいなトリル!! とウェンディに成り代わって憤慨したくなるレベル。格差社会ここに極めり。
 
 そして最後に、これこそが、私が、『スウィッチ』が深く語り甲斐のある作品であり、そして同作品の真の価値とテーマであると思うのだけれど、美少年に迎えに来てもらった主人公は、異世界ですんなりと、「今ここにはない本当の居場所」を手に入れられましためでたしめでたし――というわけでは、全く無いのだ。
 
 トリルの世界は、非常に厳格な階級社会で、「姫として」許されざる振る舞いも、山ほどある。結局、元いた世界でも、飛び立ったあとの異世界でも、自分を押し殺して「その世界のルール」に馴染むための努力をしなければならないのは、同様なのだ。いや、もしかしたら、異世界の方が、「プリンセス」という身分であるだけに、制約はもっと厳しい。
つまりこれは実は、乙女の妄想のようでいて、本質の部分としては、おとぎ話の少女は、お姫さまになったあと、幸せを掴めるのか、というところまでが描かれた物語なのである。
 
 今まで、普通に、あるいは普通未満に過ごしていた者が、「あなたは別世界のプリンセスです」と言われて、ハイソウデスカ、と明日から生活できるでしょうか。幸せになれるでしょうか。めでたしめでたしでしょうか。
 
 就職しても結婚してもプリンセスになっても生活はそのあとも続く。
今までのおとぎ話には、そんなこと書いてなかった。そんなこと書いてなかったけどそれこそが我々が立ち向かわねばならない不幸であり幸福だ。ほんとうは。
 
 本作品は、ウェンディの
“やっと故郷に帰って来たのだ”
 という独白で終わる。
 彼女にとっての、「故郷」は――彼女にとっての、「本当の居場所」はどちらだったのか、それは、実際にこの本を読んで確認していただきたい。
 さらに、実はこれ、三部作の一作目なのである。二部、三部を経て、ウェンディは、どちらの世界を選択するのか?あなたなら、どちらを選択するだろうか?
 ――いや、そうなのだ、本当は、居場所は、選択し掴み取るものだ。誰に迎えに来てもらうわけでもなくついていくだけでもなく。
 出て行くのは、「飛び出す」のは、誰でもない、「私」の選択だから。
 
 
 アマンダ・ホッキングの『スウィッチ』という“ファンタジー”は、王子さまに見初められて幸せになるのではなくなったあとの、新たな時代のプリンセスの物語だ、と私は思う。
 その意味で、アマンダ・ホッキングは、決して、巷で言われるような、“シンデレラ”作家などではないのである。彼女は、ほかの誰でもない、自分の力でこそ栄光を勝ち取ったのだ。
 
文責・電子書籍事業課 加藤美咲
 
 

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  • スウィッチ

    著:アマンダ・ホッキング (著)
      裕木俊一 (翻訳)

    定価 500円(税抜)

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