社員からの紹介コメント
◆【家族の意味と、自分の生き方、そして愛を見つけ出す物語】
(あらすじが含まれています)
「子供は親を選ぶことができない」と言われるが、まさにそのとおりだ。
物心がつくまで子供にとって親というものは支配される絶対的な存在であると同時に、隔てなく無償の愛情をもらうことができる唯一の相手である――と、される。
むろんそれは、ある種の一般論というか、むしろ、イデオロギーに近いもの、に過ぎなくて、世の中にはそうでない家庭も多々あるのだし、だからこそ、昔のおとぎ話のごとく、「親に恵まれないこと」が、「不幸」の舞台装置となり得る。(父親死亡いじわるな継母、というのはその典型だ)
『スウィッチ』の主人公ウェンディもまた、母親からの十二分な愛情を注がれずに育ち、心と身体に傷を負いながら兄のマットや叔母のマギーに育てられていく。
幼少期の自分に母親から「あなたはわたしの子じゃない」と存在を否定され、冷たくされる一方で兄のマットばかりわかりやすく可愛がられていることがどれだけ悲しく、心痛むことか。
しかし、彼女が17歳の高校生になったとき、転校生のフィンからもう一つの、本当の家族のいる世界があること、ウェンディは「人間」ではなく、「トリル」という種族の王女であることを伝えられ、話は急展開となる。
この世界に居場所がなかったのは、そして、その世界の住人たちに異物として邪険にされてきたのは、実は、「自分が本当は、もっと素晴らしい種族だったから」というのは、いわゆる『みにくいあひるのこ』のフォーマットなのだけれど、この物語が一筋縄ではいかないのは、文字通りの意味で「実際の家族」が見つかったからといって、それがすぐさま、ウェンディにとっての、「ほんとうの家族」とはなり得ないところだろう。
『スウィッチ』の後半部分は、ウェンディが、人間界とは異なるトリル界の生活や価値観を受け入れられるか、そして、トリルたちに、ウェンディが受け入れられるか、という描写にページが割かれる。
我々もそうだけれど、家族にはきっと、受け入れられなくても嫌悪していてももはや不可変の「きめられた家族」のほかに、「選択する家族」が、あるのだ。
生まれ育った人間界と「実際の母親」がいるトリルの世界の間で揺れるウェンディを見ていると家族という繋がりとは、そして、我々にとっての、家族、とは一体どこで決められるものなのかと考えさせられた。
さらに、パラノーマルロマンスという性質上、
ウェンディの人生に転機を与えたフィンとの恋愛シーンの描写も多々ある。
未経験の恋愛に憧れや悦びを感じる17歳という思春期において、また女というものはいつ何時でも、恋をする、ドキドキするということは生きるエッセンスになる。フィンの一挙一動のたびに、心揺らぎ、浮かれ、あるいは深読みし、嫉妬するウェンディの恋模様にはこちらもなんだか照れくさい。
人間界でもトリル世界でも行なわれるダンスパーティーでは、ウェンディにとっては初めて兄以外の男性と手と手を取り合い身体を寄せ合う体験。私事だが、作品を読みながら思い出したのは、地元の高校で毎年伝統的に行われてきた体育祭後の後夜祭にて開催されるフォークダンス。そのために設けられた体育の授業で初めて踊るフォークダンス。
ちょっと気になる男子生徒との距離が密着した時の気恥ずかしさを思い出すと、今でもこそばゆい感覚が身体をめぐる。
さて、そんな懐古心はさておき、現代では様々なファンタジー作品が若者を中心として人気を博し、世間を賑わせている。
男性を主人公にした『サークル・オブ・マジック』『ハリー・ポッター』『バーティミアス』『ダレン・シャン』や、女性主人公だと『ペギー・スー』『レイチェルと魔法の呪文』などが例として挙げられる。
しかしどの物語に共通して言えるのは、主人公は元来「人間そのもの」であること。
だが、今回、この『スウィッチ』という小説の主人公ウェンディは、人間ではない。トリル、と呼ばれる異種族の女の子だ。
ある年齢まで、そのことを知らされることなく、人間界で人間としての生活を過ごし、しかしあるとき、本来の住むべき世界=トリル達が暮らす「フォレニング」と呼ばれる共同体へと導かれる。
なかなか聞き覚えにないトリル(トロルともいう)を物語の中心にし、その中でも物語は細かに種族設定がなされている。
『スウィッチ』はこれまでのファンタジー作品の中でも稀代なストーリー性をもっているといえよう。
アメリカでは既に約100万部の売上が立っている本作品。著者であるアマンダ・ホッキングの手から溢れ出る数々の物語の生産量(彼女は12歳の時から物語を書き始めたという!)や、自己電子書籍出版の着手と情報の拡散力すべての賜物がアメリカでのベストセラーを呼び起こした。
驚異的な出版力とともに、アマンダ・ホッキングが手掛けた『スウィッチ』は今回日本初の電子書籍と化した。
主人公と同年代の若者たちだけでなく、多くの方々に是非とも一読していただきたい。